地震発生時は自転車を押して市内を歩いていました。ガタガタといった大きな音と共に地面がうねって電線が波打ち、近くの民家の屋根瓦が大きな音を立てて落ちてきました。慌てて戸外に出て来られた方々も多く、居合わせた人同士で「大丈夫でしたか?怖かったですね〜」と声を掛け合って心を落ち着かせました。
東北の被災地では幼稚園バスが津波にさらわれて園児と先生、運転手がそっくりそのままがれきの下から見つかったという報道に、幼稚園児の子どもを持つ母親として心が痛み、涙が出てきました。子どもたちはみんな抱き合うように体を寄せ合っていたといいます。
観測史上最悪と言われる地震と想像をはるかに超えた津波の被害。そして地震と津波の被害から一命を取り留めてようやく避難所にたどり付いた方々が、救援物資の不足から厳しい避難生活を強いられたり、原発からの放射線被害により避難所を転々とする、といった2次災害が問題になっています。
その混乱の中で乳幼児を連れての避難所での生活がいかに厳しいものであるか。燃料不足により暖房が使えない環境での長期間の生活や、水やミルクの不足のみならず、周囲を配慮して、夜泣きをする赤ちゃんを連れだして氷点下になるという寒い夜空の下で過ごさなければならない等、震災を乗り越えた被災者の方々を、終わりの見えない不安と苦しみが襲っています。ネットとして、女性ならではの視点で災害対策について訴えていきたいと思っています。
停電により大混乱する大都市、東京。電力不足による電車の運休がもたらす帰宅難民や、工場の休業等、連鎖的に起こってくる被害も日本経済に甚大な影響を与えています。自然の猛威に打ちのめされた私たちの現代生活の脆弱性を思い知らされました。
国分寺市も計画停電が始まっていますが、事前に行われる市の防災無線が聞きとりにくいという声や、メールやインターネットを使わないご高齢の世帯や、日本語がわからない外国人の方には停電時間についての情報が行き渡っていないという問題点が既に出てきています。高齢者の単身世帯増加の弊害がこういった所にも伺えます。