大地に芽吹く一粒の麦~東京都原爆犠牲者追悼のつどいに参列しました

広島・長崎に原爆が投下されてから77年。夏晴れの週末、葛飾区で行われた「東京都原爆犠牲者追悼のつどい」に参列し、原爆死没者のご冥福をお祈りするとともに、核のない世界平和への想いを新たにしました。

青戸平和公園内にある原爆慰霊碑には、以下の碑文が刻まれています。

われら生命もて
ここに証す
原爆許すまじ

1945年8月6日・9日、広島と長崎の空に天を裂く閃光がはしった。
数十万人の声明は地上から消えた。
生き残った被爆者は、放射能の病苦と貧困と差別と、政治の無視に耐え、ひたすら戦後の日本を生きた。
その日の記憶をいずみのように鮮烈に抱き、再び核戦争のおきぬことを願い、その苦難がやがて大地に芽吹く一粒の麦たらんこと信じて-

被爆者の平均年齢は84歳となりました。被爆者の高齢化が進む中、被爆の記憶と記録を風化させることなく子どもや若者に語り継ぎ、次世代に継ぎ続けることが年々大切になっています。

 

会場には広島市、長崎市をはじめ、都内自治体首長の参加もありました。

今、世界166ヶ国・地域の、8,188の都市が平和首長会議に加盟しています。日本国内に目を向けると1,788自治体のうち1,737都市が加盟。また、非核宣言をしている自治体は1,657にものぼります。

6月に行われた核兵器禁止条約 第1回締約国会議では、条約を批准していなくてもオブザーバー参加した国々もあり、今は理由があって参加できないけれど核兵器廃絶のゴールは共有しているので、できることはしっかりやっていく、と力強くスピーチをしていました。しかし日本政府は、またもやオブザーバーとしての参加も見送りました。核兵器をめぐる世界情勢がこれだけ危うい中で、今こそ唯一の戦争被爆国である日本の役割が求められる時なのに、本当に残念でなりません。

核なき世界をめざす市民・自治体の平和の取り組み、そして何よりも被爆者やご遺族の皆さんの想いを受け止め、一日も早く核禁止条約に批准・署名し、核なき世界の実現にむけ日本がリードしていくべきです。